2015年5月24日日曜日

5月の井筒俊彦読書会開催報告

5月の井筒俊彦読書会は、東洋哲学 覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学』の中の「第一部 実存意識機能の内的メカニズム」を読みました。



以下、5月の読書会用に主催者が作成したメモです。
(自分用メモなので、誤字等ありますし文章になっていないところもあります。)
-----------------

東洋哲学全体の共時論的構造化のための基礎資料の一部として『大乗起信論』をとりあげる。

『起信論』の思惟展開は二岐分離的
    「真如」
・無分割の「空」←→一切の事物の本体≒無明
・真如←→妄念
この二重構造を同時に見通すことのできる人が『起信論』の理想とする達人
    「アラヤ識」真如がいままさに無から有になろうとする境位が『起信論』のアラヤ識
現象的事物の世界は妄象←→真如の自己開顕
不生滅(非現象性)と生滅(現象性)と和合して一に非ず異に非ず(同一でないが相違するわけでもない)という意味は『起信論』はアラヤ識を和合識と名付ける。

意識と存在のゼロポイントに『起信論』は「真如」という仮名を用いる。
「真如」はあるがままを意味する。「真」は虚妄性の否定、「如」は無差別不変の自己同一性。

意識の分節化は存在の分節化で分節の超越・言葉では語り得ないものを各文化で

現象的事物の次元だけを唯一の実在世界だと思い込むなら、B空間は妄念の所産でA空間だけが真如。
A-   B双面的な全体こそ全一的真実在としての真如であることを覚知するなら、B空間は現象的事物として働く真実在、形而下における形而上的なるものになる。

現象的境位にありながら己の本性を損失することなく存立する真如の側面を『起信論』は「如来蔵」と呼ぶ。